はれひより

日々の記録を細々と書きます。始めたばかりです! photos by nicon1j5

夏という季節

『明日は真夏日になるでしょう』という天気予報のキャスターさんの声が耳に入ってきました。もうそんな時期なんですね。

 

私は暑さにめっぽう弱いので、夏という時期はとても苦痛だなぁなんて思ってしまうんですが、それと同時にどこかノスタルジックな気持ちになるのです。

 

私は音楽を聴くのが好きで、常にウォークマンを持ち歩いていつでも側においているのですが、夏になると必ず聴きたくなる曲があります。

 

それがこれ、『千と千尋の神隠し』の中に出てくる、『あの夏へ』という曲です。

https://youtu.be/r-WH1KgkX9k

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この曲は映画の冒頭、そしてラストシーンの両方に使用されています(サントラには違う曲名で登録されてありますが)。

ピアノの優しく、どこか寂しさを誘うような音色で始まり、弦楽器や管楽器がそれを邪魔しないようにふんわりと被さってくる。静寂をも曲の一部に取り込んで、胸の中の寂寥感を煽られて私はいつも泣きそうになります。

 

脳裏には真っ青な空の下、強く吹いた風に大地に根付いた草木がザァッと煽られる様子が思い浮かびます。そう、千尋がトンネルを抜けて湯屋の繁華街に向かうまでの、そして最後ハクと手を離して別れる場面の、あの風景です。

 

ここを観るとやはり泣いてしまいそうになるのですが、この一夏かぎりの出会い、別れ、というのに自身の経験をきっと重ねているのではないかなぁなんて思うのです。

 

というのも、夏というのは高校時代まで吹奏楽部だった私にとって、コンクールに向けて血の滲むような練習を重ねていた時期なんです。毎日何時間も暑い中ずっとイスに座って楽器を吹き続ける。何度も何度も同じところを注意される。高音の中音程もなかなか合わなくてまわりにも迷惑をかけて。それでも努力は報われなかったり。

 

その年のメンバーって本当にその年かぎりで。一緒に吹いてくれる先輩後輩は毎年変わるし、辞めてしまう同期だっていた。だからそう言った意味では「その夏かぎり」の縁、だったんです。報われなかったと悔し涙を拭いながら、先輩には「ありがとうございました」、後輩には「来年も頑張ってね」と、みんなそれぞれ次の道へ進んでいきました。

 

人間は過去を美化する傾向があるなんて言いますけど、本当ですね(笑)

でもこうしてなにかのきっかけで思い出されることって、やっぱりその人にとって大切でかけがえのないものなのではないかなと思うんです。

 

夏は私にとって、努力した自分を思い出させてくれる、そんな季節なのかもしれません。

 

夏と聞いて、あなたはなにを思いますか。

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:分かりあうことと認めあうこと

こんばんは。ふがしです。

 

今日は鎌倉旅は一旦お休みして、最近頭の中でぐるぐる考えていることについてここに整理したいなと思います。未来の自分への備忘録的な。笑

 

少し前に、Twitterで『わかる〜!って共感するよりも、あなたはそれ好きよね、とか、そう考えてるのねって受け入れる方が楽なんじゃないか』っていう呟きを見ました。たくさんRTされてたので、お見かけした方もいらっしゃるかと思います。その呟きが、私の中で消化不良を起こしていて、どういうことだろうってずっともやもやしていたんです。

 

その呟きをみるまで、私は「分かりあること」が交友関係を円滑に進めるのにとっても必要なことだと思っていました。男友達が少ないっていうのもあるとは思うんですが、それまでずっと共感することを求め、また求められてきたので。

 

中学まではそれでなんの問題もなかったんです。あの子とは合わないから話さない〜ってできたから。でも高校で少し疑問に思い始めて。大学に行ったらとても困りました。なぜなら、分かり合えない人たちと議論をして見解を深めなさいという場所だったからです。

 

分かり合えない人たちとどうやって見解を深めろというのか。ただの意見のぶつかり合いになるのではないか。そう思って合わない人たちとの交流を避けてきたのに、と、これは本当に悩みました。

 

当然、分かり合えない人たちばかりで、こんなに私の考えと合わないところにいたら辛さでどうかなってしまいそうと、塞ぎ込んだときもありました。それくらい、色々な意見を持った人たちが大学には集まっていました。

 

よく考えてみれば、大学には十数年様々な経験を様々な場所でしてきた人たちが集まっているわけですから、そりゃあ同じ考えの人なんてそうそういないですよね。でもそれに私は苦しんでいたのです。

 

なぜか。それは、『共感が一番』だったからです。私はとにかく自分が異質で飛び出して目立つということが嫌で、まわりと溶け込まないと落ち着かないタイプの人間でした。幼い頃にそういうことでいじめられたことが克服できずにトラウマになっていたからだと思うのですが、とにかく目立たず、静かに暮らしてたいと願っていました。

 

共感し、されれば自分の居場所が見つかると思い込んでいたのです。

 

だから共感できない人のあつまりである大学はしばらくの間苦痛でしかなかったのも事実です。授業中で苦痛を感じていたというわけではなく、主にサークル内でのことなんですが。あまりにも色々な人が各々の思うままに行動していて、秩序がないと呆気に取られたこともありました。

 

なぜみんなこうも自分の考えに合わないのか。もう辞めてしまいたい。そうやって遠ざけてきた人たちも随分いました。

 

でも、それは自分で自分の首を絞めているだけでした。共感できる人たちの間でぬくぬくしていても、全く楽しくなんてなかったのです。

 

あの呟きを見てからずっと考えていました。分かってもらうより、認められた方が随分楽とはどういうことかと。分かってもらえることはとても嬉しいし、素晴らしいことだとも思います。けれどそこから先が進まない。ある時突然分かってもらえなくなり、意見が対立することもあるかもしれない。そう考えると、分かってもらえるよりも、あなたそれ好きよねって言われる方がすごくすっきりするなぁって思ったんです。分かってもらえなくても、相手には自分がそれが好きだということが伝わったのだから。

 

それと同時に、相手を違うから、合わないからと遠ざけ否定すらしそうになっていた自分を見直すこともできました。むしろ違うからこそ、その考えが貴重で、私にはないものだから、素晴らしいものだと。その考えを跳ね除けてしまっていては、自分は偏った豊かさのない人間になってしまうと気がつきました。

 

その考えに至ってからあまり経ってはいませんが、随分と周りを透明に見渡せるようになった気がします。相手の意見で気持ちが荒れたり沈んだりすることも少なくなったし、なによりその考えを受け入れたいと思うようになりました。

 

それからはどんな意見でも、できるだけあなたはそう考えているのですね、と納得するようにしています。

 

人間誰しも自分中心ですから、自分以外のことを考えて認めるなんて本当に難しいし、できることならやりたくはないなと思うのですが、それでも生きていく上で必ず必要な人と人とのつながりをどううまく渡っていけるか。

 

未来の自分へ、それは『分かりあうこと』ではなく、『認めあうこと』です。

 

この私の考えも星の数ほどある意見のうちのひとつにしか過ぎません。自分の考えを通すという考えは捨てて、受け入れることを覚えたいと思った深夜でした。

 

お目汚し 失礼しました!

よかったら皆さんがどんな考えをお持ちか聞かせて下さると嬉しいです☺️

 

ではまた。

 

日帰り鎌倉旅 食べもの編 1

前回の記事よりだいぶ空いてしまいましたがようやく時間が取れそうなので更新してみます、、!

お久しぶりです ふがしです。

 

さて今回は鎌倉で出会った食べ物たちについて書きたいと思います。

 

まず最初に出会ったのは、花見のイベントかなにかで出ていた、鶴岡八幡宮での屋台の中での、いちご飴 です。

 

お祭りの屋台でよくりんご飴とかフルーツ飴とかあるじゃないですか。それのいちごバージョンです。

 

私は今まで口に入りきらないような、ちまちま食べる感じのりんご飴とか、果実にたどり着くまでが長くて口の裏?を切ってしまうフルーツ飴とかしか食べたことがなくて。口の中が切れるのが嫌だったのでこうした類の飴は避けてたんです。

 

なのでスルーするつもりだったんですが。

屋台をちらっと覗くとびっくり。なんと、飴にビスケットがついていて、その上から砂糖がまぶされていたのです。なにこれめっちゃかわいい。

 

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こんな感じで。ちょっとコワモテのお兄さんがこんな愛らしい食べ物作ってるなんて…個人的にとってもギャップを感じました。お兄さんGJ。できたてのいちご飴を提供してくれました。

 

おまけにいちご(あまおうでした)の、とっても甘い匂いに鼻腔をくすぐられたものですから買ってしまいました。

 

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か、かわいい〜〜;;全私が泣いた(?)

大袈裟かもしれませんが、宝石みたいにキラキラしてました。かわいい。屋台もいちごの絵が散らばっているデザインでかわいかったです。

 

かじってみるとと砂糖のやわらかな甘み、続いていちごの甘酸っぱい香りが口いっぱいに広がります。そこにビスケットの香ばしい風味とカリッとした食感が絶妙なバランスで入り込んできて、あぁこんなに幸せな飴がこの世に存在するのだろうかなんて思ってしまいました。

 

世界の渡部風に言うなら、「ファーストタッチが全然違う」ですかね。笑

 

他のと違って、このいちご飴は飴の部分が薄く、すぐいちごにたどり着きました。果肉は飴の熱で程よく柔らかくなっていて、それはそれは飴とうまく調和して、口の中で蕩けていくようでした。

 

一口サイズなのもあって、あっという間に完食。

 

正直、屋台の食べ物って、食べ物そのものの魅力ではなく、その場の雰囲気で買って食べることが多いと思うんですが、この飴に覆されましたね。どこで食べてもこれは美味い。と私は思う。

 

鎌倉の名物でもなんでもないですが、行き当たりばったりで出会う食べ物の醍醐味を発見した気がしました。

 

これからお祭りシーズンがやって来ますね。

皆さんもいちご飴、どこかで見かけたら是非食べてみてください。本当に美味しかった。

 

それでは今回はこのへんで。

食べ物編、あともう1回続きます。笑

お読み下さりありがとうございました😊